福澤幹事による、ある考察
2014年6月21日
御成講堂の会 実行委員のところに福澤幹事から次のような文と共に『ある考察』という所感が送られてきました。
みなさま
御成講堂に関し、さまざまな事態が起きていて幹事・忙殺の状態なのですが、いろいろな事態の中で、兵藤さんとは対話しつつ、いま私がどう感じ考えているか、を綴ってみました。さまざまな出会いの中から、案外実現可能性のあるイメージが浮き出てきたようにも感じています。どうか、ご検討・ご批判など、いただければ幸いに存じます。
福澤健次
現況に対する建築専門家としての考えをよく示しています。(広報担当 草場圭三)
ある考察
平成26年6月18日 福澤健次
松中健治市議のブログ概要(意見:「講堂は壊すべきだ」-この6月市議会で提案)
御成小学校改築は、開校時の姿で残すべきだと始まった運動。卒業生としては、昔の姿で残って欲しい気持ちは強い。・・御成小学校改築では旧校舎の意匠を基調に半木造で新築された。それも学校周辺邸宅街の環境、景観に考慮すべきだと。・・生徒は2百数十人と小規模な状態だった。私が在学中は50人以上学級、千数百人の生徒がいた。
改築後周辺の環境は変わり、マンションが次次建てられ、今日、御成小の生徒数は改築時より倍近い5百数十人、教室が不足してきている。・・マンション建設反対運動も起きていない、ミニ開発がどんどん許可されれば、なおさら厳しい。少子高齢化対策で人口増加対策を市は進めている-鎌倉のまちづくりに変化が起きている。若者がどんどん増えるのは良いが校舎が足りない事態の解決は急務だ。それとも、昔の50人学級に戻すことが出来るのか?
鎌倉御成小学校旧講堂が教育財産でありながら行政の無為無策で放置され、倉庫となっている事態は、子ども達への教育的影響を考えても、速やかに解体(解決?)すべきである。大人の都合で旧講堂が朽ちていく、その醜態を子ども達に見せていくのか。卒業生にも内部を見せることが出来ない講堂は壊すべきである。・・外観で郷愁を覚えても、内部を見たら、こりゃ、なんだ、危険だ、すぐ壊せ、と叫びたくなる。
とにかく、旧講堂に生徒を近寄らせては危ない。耐震検査や工事もやっていない。検査するにも準備の足場どころか、屋根にも上がれない、危険な状態だ。築80年以上経つ木造建築物、もはや学びの場ではない。
行政の不作為、怠慢の結果が問われる御成小学校旧講堂。御成小学校改築がされて16年、旧講堂の保存も検討され、その可能性は調査されたが、以後、屋根にネットを張っただけで放置されて16年、保存だ、ガイダンスセンターだとその場しのぎで過ごしてきたが、今や廃屋の倉庫代わりだ。先日・・御成小学校の現在を報告せよと言われ旧講堂を視察したが、余りのひどさに悲しくなる。私は昭和30年御成小、33年中学校とこの講堂での卒業式が最後の、小中時代を終えた。
御成小改築後なんらかの対応が為される、となったがもはや保存どころではない。無為無策の結果、廃屋状態の倉庫であり、16年前の調査でも解体(?)、基礎のやり直しが指摘されていた、にも係わらず行政の不作為が生んだ崩壊危険な状態から、安全対策として解体を速やかにすべき、と今議会で主張した。百聞一見、その姿を見たら納得するであろう。莫大な解体、改築費用、今はその余裕はない。
佐野校長+勝田教頭との会見
上記ニュースを聞いた後の6月16日(月)午前中に、兵藤事務局長と私とで御成小学校を訪ねた。シンポジウム会場に体育館を借りられるか?その可能性を聞きたいと、前もって教頭先生に予約を入れておいたのだが、校長先生も一緒に面談に出てこられた。
兵藤氏は「講堂」の保全活用をめざす市民の会(以下「講堂の会」と略記)は単なる住民の要求団体とは異なり、行政の事情も承知の上で何とかしたいという市民団体であることを説明、私からは解決のための諸提案もできる、有識者を揃えたNPO的組織であることを述べた。
学校側お二人の話の要点は「現状は人気校のせいか、とにかく生徒数が増えてきているので、教室が足りない。校地は限られているので、教室の増設を考えるとどうしても講堂の場所に目が行ってしまう。更にプール用地も欲しいのだ」というところであった。まさに、松中市議の意見とぴったり平仄の合う説明であった。
私たちからは、ブログ「御成講堂の会」の存在を話し、そこに、前の改築時の調査や会発足時に松尾市長・安良岡教育長と会った会見記も掲載されていることを述べ、参考にしていただきたいと話した。
先の会見で、私たちは松中市議同様に行政の不作為から立ち腐れ状態になっている事、市民の宝とも言える重要な文化施設なので何とかしたい、などを述べた。教育長からは、教室の足りない事情などの説明があり、市長からは重要なものと思うが、流れを見ると御成小学校との一体的な活用を思っている、との回答があった。
以上に記してきたことを考え合わせると、「講堂の会」は鎌倉市における重要文化施設だという捉え方をしてきたが、当局者たちの意向はあくまでも、学校教育施設としての処置を考えたい、ということであると、よく判った。
その日の校長・教頭両先生との面談は、私たちが「講堂の歴史・文化的価値の保存と、教室の不足という今日的課題は共に解決をなし得る課題だと思う、会としても検討してみたい」と述べて終った。
話の前半では体育館のシンポ会場使用の件も話し合ったが、スポーツ用利用に人気のある所を、通常ルールから外して一つの団体に会場使用を認めることは無理、という結論だった。「行政主催の『教室不足と講堂保全を共に考える』というような話合いの場であれば、会場使用もできるのだろう」と兵藤氏と語りながら、学校から出てきた。
さらに、松中発言に対しても、文化の立場から抗議する署名運動のような考えもあるが、会が行政と共にこの難題に取り組んで行く、というような選択肢もあり得る、と話し合った。
帰宅後のプラン検討など
学校会見では「講堂の景観的価値を尊重しつつ教室利用を考えることも出来る」、と話したので帰宅後にレイアウトを考えてみるための1/200平面図を作り、検討してみた。
その結果は、教室前に多目的利用のできる広い前室をとった上で4教室をとることができる、と判明した。
―在りのままでいいのだ―
松中議員が壊すべしと強く述べ、この問題に学校や市の施設係が悩んでいたのも、教室には教室の型があると考え、講堂の姿の中に在る教室群というイメージを、思い浮かべられなかったからであろう。実のところはわが国の柱・梁からなる木造建築では、自由に間取りを考えることができ、お屋敷が料理店に転用される例などがざらに有る。まして木造のトラス構造で中に大空間を持つ講堂の中に、教室を配置するための仕切りを設けることは、耐震構造を作るためには極めて有利で、通常のプレファブ舎を造る程度の柱を配置するだけで必要な強度が確保できて、安全補強のため仮設材を組み上げるのと同様な費用で、教室群の集まる内部空間へと模様替えをすることが出来る。
求められる耐火性を考慮すれば、構造材は鉄骨の使用が適切であろうが、創建時の木造の骨組みに新たな耐震性を持つ鉄骨骨組みを組み合わせたハイブリッドな建築構造を考えることは、建築界の今日的課題にも通じ、刺激的である。
6月30日の会のための講堂見学会には、電機大学の今川憲英教授も参加されるので、そうした解決の可能性に関して話し合ってみたいと考えている。
松中議員のブログを読むと「壊してしまえ」という短絡的な主張を除けば、講堂問題に関して私たちと同様な感覚を持っていて、これまでの経過をよく掴んでいると判る。既存基礎のやり直しの必要を述べているが、会のブログ「御成講堂の会」に載る坂本教授による簡易報告書に、その記載がある。
ちなみに、4教室を配置する際に必要となる地中梁の位置は従来の布基礎の位置とは異なってくるので、従来の木構造を支える鉄骨の骨組みを、全くの無駄なしに組み上げることができる。
そこで「卒業生としては、昔の姿で残って欲しい気持ちは強い」という発言を了としつつ、「外観で郷愁を覚えても、内部を見たら、・・」、「莫大な解体、改築費用、今はその余裕はない」云々の市議の発言が悲観的観測に支配され過ぎていることが判れば、今の木造建物を残してのコンヴァージョン(機能転換)に対し大きな味方となるに違いない、と思われるのである。
明治時代に岡倉天心とフェノロサとが多くの社寺建築を救ったが、彼らの見た社寺は今の講堂のよれよれな姿に近いものが多かっただろうと推察される。大工たちが精を込めて作った木造建築は、見かけよりも強く、手入れによって見事に蘇ることができるのである。
さて、講堂の大空間を保全することこそ大事だ、というような意見もあるだろうと感じるが、名建築が時代の要請を受けて改造されてきた例もある。前の改築時にも考えられた「建築の永続性と仮設性」のようなテーマに関して、兵藤氏と学校を出る時に話した行政主催の『教室不足と講堂保全を共に考える』、というような話し合いの中で徹底的に論じ合い、全市民的なコンセンサスを築いていくことこそ大事だ、と考えるのである。